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相談員紹介
富永 順三
困ったらいつでもお電話ください。一緒に新しい生活を築いていきましょう。
経歴
大阪府堺市出身 (父は宮崎・母は京都)
大阪市立大学 大学院卒。
大手企業、経営コンサルタント、阪神大震災復興支援NPО、経済振興財団を経て現職。
元関西いのちの電話専門相談員、経済産業省・各市・
商工会議所委員多数。
中小零細の事業支援実績が認められ04年に中川大臣(故)より
”経済産業大臣賞”を受賞。

”競売体験者” だからわかります

「あぁ、もっと早く知っていれば父・母もきっと救われたに違いない・・・」

これは、私が「任意売却」という言葉を初めて知った時に思ったことでした。

私は大阪の堺市で生まれ育ちました、父・母と小さな自宅での3人住まい。
小さいながら幸せな日々を送っていました。

しかし、私がまだ小学校~中学校の頃だったと思いますが、父が保証人となっていた
旧友の方が借金により蒸発し、その負債を私達が負わなくてはならなくなったのです。
急に襲いかかった多額の借金。私達の生活は一変しました。

その為に母もフルタイムで働くことになり、なんとか毎月の返済をやりくりする日々。
しかし今よりも高金利な時代、その返済は収入だけでは間に合わなくなり、
借金を返済する為にまた高利な借金を繰り返し、見る見る間に雪だるまのように
ローン地獄へと落ち込んでいきました。
父母は夜遅くまで仕事をしている為、日中借金取りの応対をするのは、
まだ10歳そこそこの子供の私でした。
今のような法律の規制も無かったまさしく”なにわ金融”真っ盛りの時代、学校から帰れば自宅のドアに大きく「金返せ!」という張り紙があり、早朝から深夜まで、
連日筆舌に尽くしがたく凄まじい取り立ての日々でした。

ある日母が私の手をとり、夜中の町を歩きながら
死に場所をさまよったこともありました。
(その時は、それを察したタクシーの運転手さんに声をかけられ、救われたのです)

何年もそのような日々が続いていたのですが、父母の頑張りや、多くの方々の応援・支援により、なんとかそのような取り立ても落ち着いてきて、
ようやく平穏な日々が訪れた・・・と思っていた矢先です。

その日は突然やってきました。
そう、あれは、春休みのもうすぐ桜が満開になろうかとしている穏やかなある朝。
私の家の呼び鈴が”ピンポーン”と鳴ったのです。
なんの疑いも無く、私が引き戸をガラガラと開けたところ、そこには大きな男の人達が6~7人、険しい表情をして並んでいました。
「えっ!?」と思った次の瞬間 、最前列の男性が白い紙を見せ、
「只今より強制執行を行います」と宣言したのと同時に男達は一斉に家の中に入り込み、
テレビや冷蔵庫、家具等に白い紙を張っていったのです。

一連の作業を茫然と見守っていた私に
「全ての物は動かしてはいけません、そして今日中に立ち退いてください」と告げ、
住みなれた実家を強制的に追い出されたのです。

これが『強制競売』の行く末に待ち受けている『強制執行』でした。

私の脳裏には今もハッキリと、まるでスローモーションのように
当時の様子が瞼に浮かびます。
そして、父の疲れきった表情。母の辛く悲しい泣き崩れた姿。
近所やまわりの方々の同情とともに、かわいそうに・・という冷たい表情。

近くにいた親戚は、我が家との関係をもつことを怖がり、身を寄せることも断られ、
みじめで悔しい日々を過ごしました。

その日から10数年、父母とは別れ別れになってしまい、
まさしく「ホームレス高校生」となりました。

だからわかるのです。

借金に追われ、電話に出るのも怖く、夜も電気をつけずに息をひそめて過ごした日々。

いきなり家を失い、失望と絶望に追い込まれて過ごした日々。

その辛さ、寂しさ、苦しみは、経験した者、なのでわかります。

ですから、“ 任意売却 “という方法を知った時、
“事業再生、企業再生、債務圧縮 “という救済方法があるのだと知った時、
もっと多くの方々に知っていただきたい、困っている方々に
少しでも安心していただきたい!と思い、そして立ち上げたのが
この「任意売却119番」です。

景気悪化による収入減、病気、離婚、リストラ、倒産・・・
真面目に頑張っていても苦難は突然に襲いかかってきます。

そんな時、あきらめないでください。

突然病気で倒れた時に救急車を呼ぶように、住宅ローンや借金で困ったら
先ずは電話で相談できる所を・・という思いで、「119」という名称を付けました。
困ったらいつでもお電話ください。
そして、一緒にまた新しい生活を築いていきましょう。
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